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インタビュー

和と洋の垣根を越えて

フルートから日本古来の笛にひかれ、邦楽の世界に入った西川浩平氏の最近の活動は、日本の音楽界の中でもひときわユニークなものである。洋楽から邦楽、そしてまた新しい独自の音楽活動を展開している西川氏に、旅の途中のシカゴで聞いた(7月15日取材)

インタビュア:アルマンディ郁子
〜ザ・フルートより〜


音楽する喜びが体を突き抜けていった

アルマンディ郁子昔、西川さんが大阪フィルハーモニー時代に半分はフルート、後の半分は日本の笛で演奏されたコンサートは、一部のフルーティストの間では伝説のように伝わっていますね。
西川その時のコンサートの話をされると照れます。もう20年以上前の話ですね。何もフルートと日本の笛を一緒に吹く必要もないと思うのですが、若気の至りというか。

アルマンディ郁子でも同じ笛を吹きながら洋楽と邦楽の壁を軽々と越えることのできる人は少ないですね。今回はどのような経緯で邦楽の世界に入られ、また現在どのような演奏活動をされているのかお聞きしたいと思います。ではまず、音楽との出会いを教えてください。
西川中学の吹奏楽でまずサクソフォンを始めました。その時の担当の先生がなかなかユニークで、音階も教えないでただ「得賞歌(ユダス・マカベウス)」の各パートを覚えさせ、入学したての一年生に合奏させるんです。合奏した時、何か身体にビビっとくるものがあってそれで音楽にはまったんですね。それからなんとなく2年生でフルートを始め、しばらくして林リリ子先生を紹介してもらい、本格的に勉強することになったのです。

アルマンディ郁子西川さんは林リリ子さんの生徒なんですか?
西川そうです。最初に紹介してもらった時、上手だとは言われませんでしたが「君は面白い」と言われ、生徒にしてもらうことができたんです。私は性格的にやんちゃだったから彼女が亡くなるまで、可愛がってもらいました。

アルマンディ郁子
林先生のレッスンはどんなものだったのですか?
西川とにかくいろいろな機会で吹かされ、競争の中でもまれました。「おさらい会」と呼ばれる発表会では桐朋学園高校・大学・またはオーケストラに入ったプロの人たちが混じってそれぞれソロを吹いていたし、その後私は桐朋学園高校に入るのですが、そこでは「勉強会」という名前であちこちの生徒が武者修行のように吹きに来ていました。「フルーティストは吹けてこそ価値があるんだから吹かなきゃダメよ」というのが彼女の口癖でした。峰岸荘一さんや小出信也さんなどのそうそうたるメンバーが、アンサンブルをするのを間近で聴きました。また伴奏は林光さんでしたから、今思うと贅沢なものでした。

アルマンディ郁子その後オーケストラの仕事をされるのですね。
西川高校を卒業するころ、日本フィルが新日本フィルと分かれ、フルーティストが不足していて、時々新日本フィルでエキストラとして演奏させてもらいました。その後24歳で大阪フィルハーモニー(以下:大フィル)に正式に入団することになったのです。


邦楽の世界に身を置き古典を学ぶ

アルマンディ郁子そのころすでに邦楽とは関係をお持ちだったのですか?
西川高校の時から望月太八先生について篠笛のレッスンを受け始め、東京を去るころには篠笛で日本音楽集団のエキストラもしていました。
 日本音楽集団は日本の伝統楽器で現代音楽を、しかも従来からの各楽器特有の楽譜ではなく、五線譜で書かれたものを演奏する集団でしたから私のような人間に向いていたんです。関西に就職して、京都の藤舎名生(当時、藤舎推峰)先生のところに時々見学させてもらいに行きました。
 フルートというちょっと甘いような可憐なイメージがありますね。でも西洋から来た笛とは違う、藤舎先生の直に心に訴えかけられる篠笛の吹き方に出会って大変憧れました。大フィルでも海外公演に行ったのですが、ちょうどそのころ日本音楽集団も海外公演があり、無理を言って参加させてもらったんです。その時「自分の言葉で自分の音楽を語る」喜びを知り、それが私を邦楽へと導く直接のきっかけになったように思います。

アルマンディ郁子大フィルを退団されて、本格的に邦楽の笛奏者としての道を歩まれるんですね。
西川日本音楽集団は現代邦楽の集団なので、古典を学ぶ必要性を感じていました。ルーツとなる古典をまるで知らないで五線譜を吹いているだけでしたから。大フィルをやめたのは27歳の時ですが、今古典の勉強をしないと一生悔いが残ると思いました。封建的な邦楽の世界で勉強しなければならないことが山ほどあって、最初は大変でした。
 この世界では、かばん持ちや内弟子制度が今でもあり、師匠について仕事場を回り、基本を勉強する時代をほとんどの人が経験しています。また世襲制度が根強く残っている世界なので、小さいころから親の生活を見て、細かな習慣を身につけていくのです。でも私の場合はいきなり知っているふりをして、日本舞踊などの古典の仕事を始めなければいけなかったので、相当失敗を経験しました。笛吹きの少ない地域を探して武者修行し、徐々に仕事を増やしていったので、この世界に入って20年経った今、仕事場は日本全国に広がっています。

アルマンディ郁子なるほど。それで西川さんはご自分のことを「旅から旅のフーテン暮らし」とおっしゃるんですね。日本舞踊の他にはどんなお仕事をされているのですか?
西川古典を勉強しある程度慣れたころ、歌舞伎の世界で3年ほど吹く機会に恵まれました。歌舞伎は1ヶ月のうち4日間リハーサルがあって25日間本番という周期を1年中繰り返すので、3年間はほとんど休みなく働きましたよ。歌舞伎は踊りのルーツでもあるので大変勉強になりました。東京では歌舞伎座や国立劇場、新橋演舞場、また地方公演にも多く出かけました。なにしろ長い公演なので大道具さんなどは移動するとまず洗濯機をすえつけて、生活面を確保する作業から始めるんです。そのおかげで随分旅慣れました。

アルマンディ郁子歌舞伎の場合、音楽かも男性だけなんですか?
西川そうです。舞台には男性しか上がれないんです。裏方さんには女性の方もいらっしゃいますが、いまだに男社会ですね。

アルマンディ郁子ますます女性の活躍が目立つクラシック界とは異なりますね。そういう時代を経て、今活動されている「ニシカワ アンサンブル」のような音楽とはどのように結びついていくのですか?
西川歌舞伎でしばらく生活していたころ「自分なりの音を一生に一度は作ってみたい」という欲求にかられました。そのころ40歳位でしたから、今始めるべきだと思ったんです。作曲家と、演奏者としての私との共同作業を通して、アンサンブルで自分の音を作っていくということをやりたいと思ったんです。


日本の笛がただの楽器として世界に認められる日をめざして

アルマンディ郁子現在カナダでよく公演やワークショップをされていますが、海外を中心に演奏されるのはなぜなのですか?
西川日本は「分野」にこだわった聴衆が多いと思うんです。クラシック、邦楽、またはもっと細かく、ピアノの好きな人はピアノのコンサートだけに行く、とハッキリと分かれていて、それ以外の音楽は聴いたり見たりしないというような。それを例えればクラシックと能が混じったものを作っていくのは、今の日本では難しいと思ったのです。
 私はたまたま洋楽も邦楽も知っているから、やりたいものがミックスされた音楽になるんです。世の中というのは他の影響を受けないで生きていることは不可能で、世界全体が大きなうねりをもって混じってきていると思うのです。だから、そのうち日本でも受け入れられるようになるとは考えていますが、当面、ミックスされた文化を受け入れるのは新しい移民の国、カナダが一番だと思いました。
 知り合いの中国人の作曲家が日本からトロントに引っ越したことをきっかけに、カナダに通いだしたのですが、最初のトロントでレコーディングした時からそう感じました。通い始めて6年、演奏会を始めてから4年目になります。カナダの聴衆は古典も新しい作品も同じように聴いてくれ、興味を持ってくれています。

アルマンディ郁子日本を出て、海外で演奏することで何か変わったことはありましたか?
西川作曲家がフルートを望めばフルートを、和楽器を望めば和楽器でと、今はとても柔軟に考えられるようになりました。「こうせねばならない」というような強迫観念に押さえつけられていた時代もありましたが、ここ何年かは自分なりの喜びのために吹けるようになりました。それも柔軟な聴衆がいてくれたからだと思います。
 尺八は今や海外で非常に人気が高く、楽器といても認められてきましたが、日本の篠笛や能管も、ただの楽器として認められるようになればいいなと思っています、ギターを弾く時、誰もスペインのことを考えたりしませんよね。
 楽器として独自の個性を発揮できるまで人々に浸透している。篠笛や能管を使いながら、日本を意識しないで作曲家の作品も演奏しているのですが、「日本を意識すること」なく聴いてもらえるようになりたいですね。

アルマンディ郁子3月に東京フィルハーモニーと演奏された篠笛のコンチェルトの演奏は大変すばらしかったと聞いています。海外の作曲家による作品でしたね。
西川エクアドル出身でロンドンに住むルズリアーガさんの作品ですが、おそらく海外の作曲家が篠笛のために作曲して演奏されたコンチェルトは、これが初めてだったと思います。固定概念を持つ日本の作曲家にはないチャレンジがあり、面白い経験でした。

アルマンディ郁子そのうち「篠笛ならこれ」というようなすばらしいコンチェルトができるといいですね。さて、今されている活動をもう少し詳しく教えてください。
西川クラシックの世界は日に日に器楽的になって、今や技術の枠を極めたような超絶技巧を要求されます。若い世代の人は確実に、我々のころより技術面では数段上です。そのせいか、うまいのに冷たい演奏する人が多いと思うのです。私はそういう傾向とは全く反対のものを考えています。
 邦楽は実は文学と深い結びつきがありますが、新しい形で文学と結びついた音楽をやりたいといろいろ試しています。去年横浜で芥川龍之介の「杜子春」を民芸の俳優さんに語りをお願いして、フルート、笛、能管、ピアノの伴奏でやったのですが、なかなか面白いものに仕上りました。
 2001年2月にはロサンゼルスでその英語版をやる話が具体化しています。
 その前にはカナダで平家物語もやりました。英語による新作と日本の琵琶による古典の、それこそミックスの典型だと思うのですが、アメリカ人の作曲家に頼んだ曲を、フルートとピアノがバックで演奏する中に、英語によるナレーションを入れた後「青葉の笛」の場面を琵琶で演奏してもらうんです。まぁ、音楽劇といったらいいんでしょうか、そのようなことをこれからもやってみたいと思います。

アルマンディ郁子面白い活動ですね。「杜子春」のビデオを見せていただきましたが、俳優さんの語りに伴奏が邪魔にならないでピッタリとくっついている感じで、30分ほどかかる物語を一気に見せてくれますね。でもこれが役者さんサイドからではなく、音楽家の方からのアプローチで生まれたというのがとても面白いと思います。
音楽家は、世間を知らないで音楽家だけの世界で生きる傾向があります。それが西川さんのおっしゃる「冷たい演奏」に繋がるのかもしれませんが、そういう傾向があるからこそ、文学と結びついた音楽がとても新鮮に思えます。
西川題材選びから実際演奏するまで相当な苦しみがあって生まれた作品ですから、そう言ってもらえると嬉しいです。音楽劇的なことと並行して、自分の活動としては現在2枚のCDを出しているで、60歳までに10枚出して一つの区切りとしたいと思っています。「ニシカワ アンサンブル」は固定的なメンバーではなく、何かの縁があって知り合った作曲家も含めた音楽家で作っています。私の音楽や音楽観に賛同してくれる人たちとよく相談し、一緒に演奏する中で「自分の音」を見つけていきたいと考えています。
 基本となる古典の仕事を続けながら自分の好きな音楽を作っていく、という作業なので先の長い話です。あせらずゆっくりとやっていきたいと思っています。

アルマンディ郁子お話から西川さんの暖かい音楽観が伝わってきます。これからも一つの方向に流されがちな日本のフルート界に新鮮な風を吹かせて下さい。お忙しいところ本当にありがとうございました。


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